2007年8月15日水曜日

韓国発の異端の流れについて(その6)

韓国のキリスト教異端・カルトの歴史について、さらっと時系列に並べてみます。

韓国キリスト教の歴史

※日本に入ったキリスト教

日本には1549年、ザビエルによってカトリックが伝えられる。
織田信長は、イエズス会神父の布教を許した。
豊臣秀吉は、最初は寛容政策をとったが、晩年キリスト教を不要のもと考え、朝鮮出兵の先陣にキリシタン大名の小西行長の軍を用い多くの兵を戦死させる。

※韓国に入ったキリスト教

プロテスタント
1882年アメリカ海軍韓国上陸によって、キリスト教の門戸が開かれる。
最初の宣教師は、保守的な立場のピューリタンであった。
1895年日清戦争終戦
1904年日露戦争終戦
1910年日本による韓国併合植民地化
   亡国の憂き目にあった韓国教会は、内外共に堕落し病んでいく。

※形態を整えて行った韓国キリスト教
1895年、日清戦争が終わった年に皇后閔妃が日本人暴徒によって殺害される。

※愛国と反日の民族教会
19世紀末の韓国教会は民族意識が高まり、いかなる国家の教会よりも強大な民族教会として形態を整えていく。

※反日殉国の教会とその成長
韓国の宣教初期の教会は成長が進まなかった。
1895年から、1907年にかけて驚くべき成長を成し遂げた。
国内が煮えたぎり、政治問題では安定を得られなかったが、教会には信仰復興・リバイバルが至るところで起こった。
1907年平壌を中心に大復興伝道運動が展開される。そして、日韓併合が成立した1910年には、100万人救霊運動が展開された。当時の韓国のクリスチャン人口は20万人となっていた。

※韓国教会と3・1独立運動
日本が韓国を併合して9年目、1919年に3・1独立運動が起こった。東京に留学している学生が、キリスト教会館で独立宣言を発表したことに端を発し、国内で大きな運動として広がり、3・1韓国ソウルで、民族代表29名が宣言書を発表した。
その後、元山始め各地で開かれた独立運動演説会には大群衆が参加した。
3・1独立運動に対する日帝の報復は苛酷であり、多くのキリスト教徒は捕らえられ教会は破壊された。
その中でも最も非人道的な惨禍は、堤岩里教会焼失事件である。4月15日日本軍は教会員を集め、銃を乱射し教会に火を放ち30名全員を殺し、教会堂を焼き払った。

※経済的試練の中の教会
貧困はその辛酸をなめてこそ、その言うに言われぬ痛みがわかる。朝鮮民族は経済の一翼がもぎ取られて傷ついた民族であった。
そのようなとき、民衆の求めに応えるかのようにして起こってくるのが、神秘主義的キリスト教である。

※正統的キリスト教は、近代化に重要な役割を果たしてきた。

1、新教育事業
新しい西洋的な新教育制度導入
①1910年、キリスト教系学校709校。学生数、16335名に達していた。
②青年事業YMCA
③女性運動儒教的な封建主義の中で、暗い日々を送っていた韓国の女性を解放し、教育の機会を与えた。
④医療事業漢方医とまじない師だけの活動のところに、西洋の現代医術を導入し、普及させた。1920年には、全国24の主要都市に病院を建てた。

※神学
韓国キリスト教は、1885年に保守的なプロテスタントが入ってきた。
韓国キリスト教会の神学は、30年のも長きに亘って不毛の期間があった。

そのようなとき韓国の「恨解・ハンプリ」に応えるようにして出てきたのが、再臨のメシア信仰である。【恨解」とは、心にわだかまっている恨みを溶かすことである】

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